ダイアリー

共同代表、新しいスタートライン

事務所の10周年に合わせて、共同代表に就任した。

北関東の小さな町で育ち、小さい頃から勉強にもスポーツにも苦労したことがなく、自分のことを無邪気に、選ばれし人間と思って大学生になり、上京した。

大学ではゴルフサークルに入り、華やかな学生生活を夢描いていたが、そこでは豊かなバックボーンを持ち、器用で、社交上手な都会育ちの同級生たちがごまんといて、打ちのめされた。

そこから拗らせて、会社員にはならないと思い詰め、大学卒業後は就職もせずに、トレーダーの道に邁進した。数字が好きだったので、チャートを読むのが楽しくて、朝は集中力を保つためにジョギングをし、心を整え、ダブル画面を睨みながら時間を忘れて売り買いに没頭した。

しかし、次第にトレーダーとして成功するために必要なのは、数字を読む力ではなく、常人と違う賭けをする度胸だと感じるようになり、慎重で枠から外れない優等生気質の自分には、トレーダーとしての突き抜けた才能がないとわかってきた。

これ以上この道を進んでもどん詰まりだと感じて、悪夢にうなされるようになり、司法試験を目指したのが30歳の時。

学生の時以来、見向きもしなかった法律書を取り出し、奨学金の出るロースクールを選び、一心不乱に勉強に打ち込んで司法試験に合格した時点で30代半ばになっていた。

10歳以上歳の若い修習生に囲まれて、研修を受け、大学の同級生は大手事務所でパートナーになっているときに、ようやく新人弁護士としてスタートを切った。落ち着いて見せながら、内心では焦りまくっていた。書面と知識なら負けない、ここから追い上げると休日も法律書を読み込み、そこにプライドを持っていた。

修習を終えて、まだ赤坂の地で光風を開設する前の、永田町の事務所に共同経営者として参加していた松田に採用された。

私の叔父が池袋で会計事務所を経営しており、近い将来ビル一棟を買って、そこで親族で会計・法律事務所を一緒にやろうと誘ってくれていたため、松田の元で3年ほど研鑽を積んだ後は独立しようなどと考えていた。採用面接の時に長く定着する人材を求めていると言われて、不義理なことになってはいけないと思い、松田にもその旨伝えたが、意外にも全く気に留めていないようだった(松田には、共同代表になる今の運命が読めていたのだろうか…)。

松田のもとでの弁護士生活は、はじめの1、2年は厳しかったが、ひたすら褒められ、やりがいを感じていた。リサーチと書面を書くのが得意だった私は、大きな事件の書面も任せてもらい、裁判で良い結果も次々と出て、手ごたえを感じていた。

あれ、なんだか叱られるようになったなぁと感じ出したのが3年過ぎた頃から。パートナーになってからは、人生の中で叱られるピークが40歳になって到来した!と自分でもびっくりするくらい、毎日叱責された。口内炎と縁の切れない親友になったのもこの頃だ。

職人気質で黙々と仕事に集中し周りが見えなくなり、また人に深く踏み込まない質の自分が、パートナーになって突きつけられたのは、人の心を取り扱うというタスクだった。

スタッフに対していかに目配りしていくか、アンテナを高めて言葉にできない思いをどうやって掬い取れるか、数多くの弁護士の中からクライアントにどうやってこの人だと賭けてもらい、選んでもらうのか。

自分自身の課題と向き合い、枠を広げていくということは正直、苦行でしかない。

できたら見たくない自分の弱点や出自、プライドも傷つく。でも枠を広げたときに、広い世界観と新しい価値観に触ることができる。それこそが生きる醍醐味だと心から実感するようになった。

共同代表に就任したというご報告をしたところ、事務所の内部の話にもかかわらず、多数のクライアントの皆様から激励とお祝いのメッセージを頂いた。資格十分、いよいよ主役としての活躍ですね!頼りにしていますといった嬉しい言葉をたくさんいただいた中、1つのメッセージが目に止まり、笑いが溢れた。

「共同代表ご就任、おめでとうございます。

これからもより一層、松田先生を助け、松田先生の右腕となって頑張ってください。」

自分を評価し買ってくれていると思っていたクライアントの1人だったが、縁の下の力持ちであれと突きつけくれたこのメッセージ。

親や兄から言われているようで、率直で、温かく、ありがたい。

驕らず、小さな自分の器をわかりながら、松田やスタッフを支え、その力を引き出しながら歩いて行こうと思った。

自分は昔憧れたようなスター選手ではない、でも自分に誠実に愚直に一歩ずつ超えようと努力するところにこそ、自分の真価があると思い定めて、これからも頑張っていきます。

岩永 智士