私たちについて

所長 弁護士 松田 恭子

去年の大晦日のよく晴れた朝に電話があり、私が弁護士になってから10年間の間、イソ弁として勤めた事務所のボスが亡くなったことを知らされました。
 30代の10年間は、毎日そのボスと朝から晩まで一緒に過ごし、指導を受け、企業法務の仕事の全てを教わりました。
 ボスはいつも朗らかに笑っている明るい人でした。一緒に食べることを大切にしていて、夕方6時になると「松田先生、行こうか?」としょっちゅう、飲みに誘われました。みんなで食べることが大好きな人でした。
 褒め上手で、声を上げて叱られた事は、10年間で一度もありませんでした。といっても新人の時は、こちら側に褒めるようなめぼしいところもなかったのでしょう、私の顔を見ると「松田先生は笑顔がいいね」とひたすら笑顔を褒めてくれました。
 でも決して優しいだけの人ではなく、感度が高く、笑顔の裏には、厳しさと凄みもあり、いつも心の奥ではピリッと緊張感をもって接していました。

条理に勝る法はなし、という言葉を教えてくれたのもボスでした。法律だけを追いかけるな、法律が導く結論が条理に照らしておかしいときは、条理にこそ従えということを繰り返し説いていました。
 そして、弁護士は、理屈や法知識でなく、全人格で仕事をするんだということを背中で教えてくれました。クライアントに対してはもちろんのこと、闘う相手に対しても、自分を開き、家族のことやどういう育ちをしてきたのか、開けっぴろげに見せました。

怒りの出し方についても教わりました。怒りの感情が湧いた時に感情のままに出すのは愚かなことだと教わりました。
 その言葉どおり、自分の子供ぐらいの若造にどんな失礼なことをされても、カッカする私の横で、笑って、受け流して、あやして、柔らかな空気で丸め込んで、相手の怒りの磁場に囚われませんでした。ひだまりのような空気を作って、苛立つ相手の方をその空気の中に包み込みました。
 「弁護士は、紙とペンだけで、大層な金を稼いで良い商売だな」とある企業の社長にしつこく絡まれた時も、「いやいや、うちは相手からきた紙の裏に書いて仕事しているから、紙もいらない。」とニッコリ笑って答えていました。
 出張先でタクシーを拾ったら、とんでもなく不機嫌で感じの悪いドライバーに当たってしまい、車内に不穏な空気が立ち込める中、助手席に座ったボスが「お兄さんは横顔がいい男だねー。黙っていると俳優みたいだよ」と人懐っこく話しかけて、運転手が吊り込まれるように苦笑いしていたことなど、様々なシーンが次から次へと浮かんできます。

弁護士は、人の心を扱う仕事であること、だからこそ人の気持ちを想像し、理解し、愛を持って向き合うことが必要なんだということを教えてくれました。

仕事をしっかりこなすこと、満足して頂けることはもちろん大切です。でも、その先に、感動してもらえるという世界があります。光風に頼んで良かった!と感動してもらえる仕事をするために、この事務所を開設しました。

パートナー弁護士 岩永 智士

私たちの事務所は、二つの専門分野を持っています。
 一つは商業施設(ショッピングセンターや百貨店、地下街、ホテルの商業フロア等)を中心とした不動産案件です。商業施設には、通常の不動産とは異なり、借地借家法の適用の有無やリニューアルの必要性が正当事由を構築するかなど、特有の法律問題があります。
 もう一つはクレーム・カスタマーハラスメント対応です。ニュースを見るまでもなく、今の時代はSNSの発達の影響で、トラブル対応を誤ると早いスピードで拡散し、ブランドイメージは失墜し、最悪は役員の退任といった事態にまで発展します。当事務所では、大手上場企業のクライアントを中心に、いかにして会社の価値毀損を避けられるか、トラブルや顧客対応、マスコミ対応を法的にサポートしています。  

上記専門分野だけでなく、100社ほどの顧問先企業に対する支援業務を中心としていますので、企業法務一般の様々な法律相談もお受けしています。また従業員の方を中心に離婚や相続問題、いじめ問題、刑事事件などなどの個人からのご相談も、事件全体の一割ほどを占めています。

事務所として大切にしていることは、専門分野においてはどこにも負けない業界トップクラスの成果を上げることです。おかげさまで、関東だけでなく、北海道、東海、関西、九州と全国の大手企業からご依頼をいただいています。
 私自身で言うと、数字が得意だったので、新人の頃から希望を伝えて、賃料や立退料の不動産鑑定が絡む案件を集中的に割り振ってもらいました。
 3年目の時点で大型商業施設のリニューアルオープンを目指し約50店舗を相手方とする交渉・裁判を担当しました。裁判長と直談判し、裁判官に現地に足を運んで和解してもらうなどの異例の対応をとってもらったおかげで、多くの困難を乗り越えて無事にオープンまで導くことができました。
 その施設が約半年間の工事を経て実際にリニューアルオープンし、たくさんのお客様で賑わっている様子を目にしたときの喜び、また将来、南海トラフなどの災害に見舞われても人命を守れる強い施設に生まれ変わったことの感慨は忘れられません。

賃料増額を巡る裁判では、関西地区の商業施設から、一審で完全敗訴した案件がどうにかできないかとご相談を受け、控訴審から受任し、逆転勝訴の成果を上げることができました。これは新聞でも大きく報道され、関西の商業施設からたくさんのご依頼が来るきっかけとなりました。

新人でもやる気があるなら思い切りやってみたらいいと背中を押して、きめ細かくサポートしてくれる文化、これがこの事務所の最も誇れるものの一つだと思っています。

私が弁護士として働く上で大切にしているシーンがあります。
 会社の将来を賭けたプロジェクトの担い手として、名前の知れた大手法律事務所ではなく、我々を選んでくれたクライアント企業がいました。
 しかし、その期待に反して、裁判の中で突破口を探せず、いたずらに時間だけが過ぎていました。
 会社での役員を交えた重苦しい打ち合わせの後、裁判所の期日に向かう我々を社長がエレベーターまで見送ってくれました。そのときに微笑みながらかけてくれた言葉が胸に突き刺さりました。

「私は光風さんに賭けて依頼したので、思いっきり悔いのないようにやってください。この裁判が負けた時は私も社長辞める時です。全てお任せします。」                       

この言葉が、バトンを託されることの重みを教えてくれ、プロとして成果を出すことの大切さを教えてくれました。

パートナー弁護士 南 謙太郎

弁護士という仕事は、トラブルがあるからこそ需要があるわけなので、クライアント企業のご担当者が、強張った表情で来所されることもよくあります。
 私はその時に大切な事は、目を凝らしてトラブルの中の微かな光を見出すことだと考えています。
 まさに事務所の「光風」という名前が意味するとおり、光を見出すと風が吹き、そこに新しい展開が広がってきます。
 トラブルの中で、過ぎたことにダメ出ししたり、悲観的な予測をすることにエネルギーを注いでしまうと、微かな光が見つけられなくなってしまいます。
 そして、微かな光を見いだすために重要なのが、マインドセットです。八方塞がりで重苦しい沈黙が続くときに、クライアントが頼ってきてくれてることへの喜びを力に代えて、トラブルを楽しみ、堪能します。

そういうわけで、我々の事務所には、他の法律事務所から難しいと意見された案件や第1審で敗訴したという案件が数多く持ち込まれます。
 社運を掛けて計画した再開発事業について裁判所が理解を示してくれず敗訴した、顧客のカスタマーハラスメントとして拒絶したところ週刊誌で報道され冷酷な対応として非難を浴びた、都心の一等地でオープンする商業施設のキーテナントが開業直前にキャンセルしてきた、数十単位の地下街の耐震補強工事がが1つの店舗の協力拒否で着工できない‥
 そういう事件に遭遇すると心の底からエネルギーが湧き起こってきて、「盛り上がってきたね!」、「しびれるね」と声をかけて、臨みます。
 そういう私を、事務所のメンバーは、「ポジティブモンスター」と呼んでからかいながらも、頼りにしてくれています。

今日も「会う前から相手を好きになる」をモットーに、張り切って飛ばしていきます。

弁護士 新保 輝

私は他の事務所で数年間勤務した後、中途でここに入所しました。光風は、弁護士になってから3つ目の職場です。そういうわけで、事務所を眺める視線もメンバーの中で1番客観的ではないかと思っています。

この事務所の特色をしてまず言えることは、クライアントに非常に恵まれてるということです。街づくりや再開発、人の人命を左右する地域一体の大規模耐震補強工事、何千人もグループ社員のあり方を決するガイドラインづくりなど、会社が総力を上げた計画に携わり、熱のある優秀な会社の人たちと仕事をする中で自分の力を発揮できるというのは何よりもの醍醐味です。
 もちろんたくさんの法律事務所と付き合う大手企業は、厳しく我々弁護士の仕事ぶりをみています。一方で、こちらが言わなくとも努力のあとをわかってくれます。自己アピールするのが好きではない私にとって、クライアントが、逃げずに最後までやり切る弁護士として信頼を寄せてくれるこの環境が、ありがたく幸せです。

もう一つの特色は、なんでも相談できて助けを求められるメンバーに囲まれていることです。
 私の両親が住むふるさとの石川県七尾がこの1月1日に地震に見舞われました。事務所全員がすぐに連絡を寄越して、自分の家族のように親身になって心配してくれました。自分のマンションを仮住まいとして提供すると言ってくれた人もいました。また二人の小さな幼子を抱え、妻と共働きの私は、子供が熱を出そうものなら、急遽仕事を代わってもらわないといけない時もあります。その時に、すっと助けてくれる仲間がいることが何よりも心強いです。
 この一体感は、どこから来るのだろうと考えてみるに、良い仕事をしようと言う目標に向かって全員が一丸となっているからだと思います。自分が築き上げてきたノウハウを惜しみなく仲間に披露し、後輩を育てていく空気に溢れています。
 例えば岩永は定期的に勉強会を開いて業界トップクラスの不動産鑑定の知識を教えてくれます。交渉の得意な南は、交渉のポイントをペーパーにまとめて熱くレクチャーしてくれます。ボスの松田は、どうやったら受講者の心に響くセミナーをかできるか、レジメの作り方から、話し方のコツまで手取り足取り時間をかけて指導してくれました。
 初めは人前で喋るのが苦手だった私が、今や500人の受講者の前でも、楽しみながら講演ができるようになりました。

この事務所に来てからより高い山を目指したいと望むようになりました。

そして、自分が享受してきたことを、今度は新しい仲間に提供し、共にクライアントに心から満足してもらえる事務所を作り上げていきたいです。

弁護士 齋藤 隆

私は非常に不器用な人間です。
 社会人経験を経ずに学生気分のまま弁護士となったこともあり、新人の頃は、失敗の連続でした。
 声がくぐもっていて聞き取りづらい、ワイシャツがヨレヨレでだらしない、書面のインデントがずれまくっている、裁判所に間違えて全く違う記録を持っていくなど、毎日必ず何かやらかしていました。
 ボスや先輩から、手を変え品を変え、様々な指導を受けましたが、一向に芽が出る気配がありませんでした。
 聞き取りやすい声でしゃべれるようになるため、アナウンサースクールにも通わせてもらいましたが、講師の先生から「あなたは舌の年齢が70代だ」と驚かれました。20代なのに。 
 辛いことは重なるもので、交際相手にもフラれてしまい、もう弁護士を辞めて、地元の千葉に帰ろうかと本気で考えたりもしました。

そんな自分にさえ愛想がつきる中で、クライアントは、私を指名し続けてくれました。
 電話をかけてきてくれ、打ち合わせしたいと言ってきてくれました。
 新人の私ではなく、もっと能力の高い先輩の弁護士を指名することだってできたはずなのに。
 クライアント担当者は、斎藤先生は不器用だけど、一生懸命なところがいい、手を抜かないところがいいと言ってくれました。
 企業法務の世界や大手企業というのは、結果のみが評価される厳しい世界だと思っていたので、クライアントの温かさにびっくりしました。
 それが嬉しくて、それを支えに弁護士を続けることができました。
 年上の担当者からは実の子供のように可愛がっていただきました。同世代の担当者とは、同じ目線で考え、悩み、時にはプライベートも相談し合い、一緒に案件に取り組みました。
 一つ一つの事件が思い出です。そして、一つずつ、一つずつ、経験と成長の機会をいただけました。

いつの間にか7年が経過しました。
 転職が多い業界ではありますが、新卒で入所した光風法律事務所に今もこうして在籍しています。
 担当する案件は増えましたが、新人の頃にお付き合いしていた担当者とは、今でもやり取りさせていただいています。定年退職されても、今はLINEでやり取りできるので便利です。
 結婚式にはサプライズでクライアントの皆様から、たくさんの心のこもった祝電までいただきました(齋藤家の家宝です)。ひたすら人に恵まれた人生だと感じております。

不器用でひとり立ちできるまで人一倍時間がかかった自分にとって、今、弁護士として働けるのは大きな喜びです。支えてくれた周りの人たちに感謝しながら、クライアントの皆様に少しでも恩返しできるようこれからも精進してまいります。

弁護士 中田 大地

弁護士として3年目を迎え、昨年は大型案件の主担当を任されました。会社の将来を決める重大な岐路に立つ中で、私の父親ほどの年齢の経営陣の皆様が何度も新幹線で事務所まで足を運んで下さり、見解が相違したときもこちらの話に真摯に耳を傾けてくれました。
 その姿を見て、何としてでも結果を出したいと強く思いました。
 この事務所の強さは、どの弁護士の担当かということは関係なく、最善の結果を出すために、献身的にお互いをサポートしあうところです。先輩弁護士らも現地同行や折衝、戦略の策定など、徹底的に私を支えてくれました。

クライアントが望んでいる成果を出すためには、利害が対立している取引相手にこちらの条件を受け入れてもらい、合意を取り付けることが必要でした。
 相手方にも代理人弁護士がつき、投資家や銀行など様々なステークホルダーの意向も調整しながら、数ヶ月にわたって、懸命に協議を重ねましたが、最終的に合意に至ることができませんでした。その結果、会社は、次善の策であったプロジェクトからの撤退の道を選ぶこととなりました。
 所長の松田や先輩からは「結局、これしかなかったよ」と言われその選択を支持されたものの、クライアントが真に望んでいた結果をたぐり寄せることができなかったことの悔いが残り、あの時こうしておけばよかったのではないかと自責の念を感じ続けていました。
 その頃、松田から「私宛に、クライアントからこんなメールをいただいたよ」と言って、メールの一部を見せられました。

「中田先生には、本当によく話を聞いてもらいましたし、説明や報告も質問に対してもわ かりやすく、丁寧に応えてくれました。
 聞き手が、問いかけやすい。問いかけても一向に構わないのだということを感じさせる話し方というのでしょうか。
 とにかく、およそ半年間でしたが、とても濃い時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。」

一番望んでいた成果を出せなかったにもかかわらず、このような言葉をかけてくれることに、胸を打たれました。

この事務所は依頼者に寄り添いながら解決することを理念に掲げてきました。
 そのために、私自身も新人の時からお客様と十分なコミュニケーションを取り、決して独りよがりにならず、意見の相違がある場合にも、互いに納得するまで本音でぶつかり合い、共に解決に向かうという姿勢で取り組んできました。
 ただ、それは時に、若造のくせに可愛げがない、生意気だと受け取られることもあるだろう、それは仕方がないと思っていました。しかし、この状況下でこんなふうに評価して頂けたことが嬉しく、ようやく気持ちが晴れ晴れと明るくなりました。

私は困ってる人の役に立ちたいという素朴な気持ちから弁護士を目指しました。その心を忘れることなく、熱量の大きいこのメンバーと共に、これからもたくさんの方の笑顔が見られるよう事務所を盛り上げていきたいと思っています。

お客様とのお打ち合わせ

事務所ミーティング

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