ダイアリー

父と似てきたと感じる時

声が大きいと周りからよく言われる私。

昨日は両親が上京して、手作りのキムチを東京の取引先のお店に届けるのに私も付き合った(両親は地方で小さな焼肉店を開いている)。お昼は父のリクエストで東京の寿司屋へ。テーブル席で、私の前に父が座り、他愛もない会話をしているのだが、とにかく父の声がでかい。「大きな声で言えないけどさ」、「ここだけの話だけどな、こんなことがあったんだよ」という父の言葉に周りのお客さんがこちらを二度見するくらい、声が店内に響き渡る。そして、ギャハハと腹の底から笑う。

それを見て、あぁ、周りが普段、私に感じていることはこういうことだったのかと実感し、反省した。確かに周りの目が気になる。申し訳ないと肩身が狭い。ただ、うるさいとは感じない。むしろ、なんだか父のデカ声からパワーをもらえるような爽快感が湧いてきて不思議な感覚。父から好奇心、感じたことをそのまま口にする率直さ、東京の人にはないエネルギーが立ち上がっている。

食事が終わり会計、機械にスマホをかざして、電子決済。機械から、「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」と電子音が流れる。それを見て父が「東京の店は、店員さんが最後に挨拶しないのか、つめてぇな、こんにゃろ(「このやろう」の略である。)」と、すかさずツッコむ。この声はこれまでに増して特大である。後ろに並ぶお客さんも笑っている。

父は70近いが、年々声が大きくなり、エネルギー量が強くなっている。私も年々声が大きくなっている。入所した当時は普通だったのに、今や、私が電話で気合いを入れて話していると、隣の席の同僚は、私が座ってる方の耳を手で塞いで仕事をしている始末だ。後輩からも私が横にきて喋ってるとパチンコ屋の騒音の中にいた時のように耳がキーンとしますとぼやかれる。でも、同時に、メンバーは私と話してると気が晴れると言ってくれる。うるさいというだけでなく、私の個性も認めてくれている。 だから私も注意されるとすぐにごめんごめんとすぐに声を小さくする。

父と久しぶりに会って、良いところも困ったところも漏れなく受け継いでいるなぁと思った。私が、昔憧れたような、スマートで抑制の効いた人間になることはないだろう。その代わりエネルギーに溢れて、よく笑い、人情家で、人が大好きな父のような人間に否応なくなっていくんだろう。でもそのことが、前ほど嫌ではなくなってる。