ダイアリー

パチンコと私

私は今でこそ、周囲から真面目人間、慎重すぎると言われるが、学生時代はパチンコにドハマりし、親が見たら泣くような生活を送っていた。今日はその頃の話をしたい。

大学卒業シーズン、皆が社会人となって飛び立っていく中、私は弁護士を目指し、ロースクールを受験していた。本命だったロースクールに落ち、最後の望みの綱だったとあるロースクールの受験日までは、ここまで勉強したことがないというほど、毎日図書館に通い、図書館が閉館するまで、一心不乱に法律に打ち込んだ。

そんなある日、「これだけ頑張ったから、少しはリラックスしないと逆に頭にも良くない」と甘い悪魔の囁きが聞こえてきて、図書館帰りに、封印してきたパチンコ屋にふらふらっと寄ってしまった。単なる気晴らしという軽い気持ちのせいか、普段なら台を変えるタイミングでも、その時はおおらかな気持ちで、よかよかと打ち続けていたところ、突然、「フィンフィンフィンフィン」と、激しいライトの演出とともに、どの世界にも存在しない唯一無二のなんとも耳に心地よい快楽音が鳴り響いた。そこからは閉店まで、出るわ出るわ、通路いっぱいの山積みのドル箱が積み上がった。

ここから落ちるまでは早かった。毎日図書館には行くものの、夕方が近づくと、今日はどの台を打とうかなとソワソワし始める。文字が頭に入ってこなくなる。そして、4時を回るや、図書館を飛び出てパチンコ屋に入り浸るのが日常になった。

そんな生活が続き、暗い気持ちで本命の最後のロースクールの試験前日を迎えた。ここ落ちたら、もう後はない。仕送りも絶たれ、就職も決まっていない自分の未来はない。さすがに、この日はパチンコなんかせず、ギリギリまで教科書や問題集を読んで、早く寝て明日の試験に備えようと、朝起きたら時点では迷いなく決心していた。当然だ。

しかし、図書館で勉強していた午後3時頃、突然「フィンフィンフィンフィン」との快楽音が頭に鳴り響いてきた。もちろん、図書館にパチンコ台があるはずなく、完全な空耳だ。だが、確かに私の耳にははっきりとあの音が聞こえてきたのだ。その音を聞いた私は、「試験前日に詰め込んでも意味はない、むしろ、これまでの知識に混乱をもたらすだけだ」と都合のよい言い訳をこねくりだし、ころっと決心を覆すや否や、すぐにパチンコ屋に駆け出すように向かった。

試験前日の日にパチンコ(当時、花の慶次と海物語しか打たないと決めていた。)を打ち始める。最初はギンギンになって、前のめりに画面を見ていたが、なかなか当たりが出ず、徐々に冷静になってきた。
冷静になってくると明日の試験を思い出し、試験の時間を再確認しようとネットで試験概要を検索した。その瞬間、現実が一気に押し寄せ、体を冷気が襲い、明日の試験に受からなかったらどうしようという猛烈な不安が込み上げてきた。しかし、ここまで2万円も投資しているのに、この台を他の奴らに譲りたくないとの訳のわからない執着に囚われ、どうしても止めることができない。

受からなかったらどうしようという恐怖と、このままパチンコを続けたい!という相反するどちらも強烈な気持ちにもみくちゃに苛まれ、何を思ったか私が選択した行動は、両方を取る!パチンコを打ちながらも試験勉強はする!という訳のわからない行動だった。やおらリュックから受験生にとって聖書と言われている民法の基本書「ダットサン」を取り出し、膝に開いてそれを読みながら、右手はパチンコのレバーを回すというスタイルに行き着いた。当然、全く頭にはダットサンの内容は入ってこない。いつ快楽音が鳴るのか、そこにしか意識は向かない。それでも、怖くてダットサンを閉じることはできず、レバーを回し続けた。その結果、確変が発動し、閉店の時間になっても出玉が止まらず、強制的に退出させられる。収支としては、+15万円だったことを覚えてる。閉店時刻に店を追い出された時の気持ちは、穴の底をのぞきこんでるような気持ちといったらいいだろうか。

翌日、試験会場で憲法から取り組んでいた。唖然とした。一切知らない問題だった。詰んだ、終わったと思った。結果は補欠合格だった。その後、合格者の中から辞退者が思った以上に出て、繰り上がり合格となった。首の皮一枚でつながったわけだ。その後、ロースクールで最高の友人と出会い、その友人のおかげで切磋琢磨して、道に逸れることなく司法試験に合格することができた。

事務所の皆さん、私が酒の誘惑には負けてもパチンコだけはガンとして手を出さない理由を少しは理解して頂けたでしょうか?フィンフィンフィンフィンという世界のどこにもないあのパチンコ屋でだけで鳴り響く甘い甘い快楽音は、記憶の中に留め、決して現実で聞かないことを決めてるのです。

お休みなさい。